大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和36年(オ)836号 判決 1963年10月24日

上告人 小林かづ(仮名)

被上告人 小林伸二(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人尾形再臨の上告理由第一について。

(1)  所論悪意の遺棄の点については、原判決の事実摘示によると、控訴代理人は「被控訴人は、この間に処して嫁姑及び夫婦間の融和をはかるための積極的な努力をしないのみか、かえつて妻子を置去りにして家出し悪意の遺棄をしたのであるから」云々と、専ら同居、協力義務の不履行を主張し、扶助義務の不履行の点につき何等ふれていないので、原判決はその点の判断を示さなかつたものと認められるのみならず、原判決が適法に確定した事実関係の下においては、上告人の常軌を失した言動が本件婚姻関係の破綻を招来した主たる原因をなしていたものであつて、かかる事情の下で被上告人が前記義務の履行を完全にしなかつたからといつて、これをもつて悪意の遺棄と認めることは相当でない。原判決のこの点に関する判断に、所論のような違法はない。

(2)  所論は、不心得な男性が性格不和を口実に、離婚を欲しない妻を置き去りにして別居し夫婦関係破綻の事実をつくりあげて、裁判所を通じて離婚を強いることができるようにする原判決の考え方は、憲法二四条の精神に反する旨を主張する。しかし、右は原判決の認定にそわない事実を前提とする主張であつて、採用するをえない。原判決が適法に確定した一切の事情を斟酌すると、本件においては、婚姻を継続し難い重大な理由があり、しかもその事由の発生については上告人側に被上告人側以上の責任があると判断したことは、首肯できないわけではない。それ故、所論信義誠実の原則に違反する旨の主張も、採用できない。

同第二について。

所論引用の判例は事案を異にし、本件に適切でないから、所論も採用できない。

同第三について。

上告人が現にいかに、婚姻の継続を熱望しているからといつて、原判決の確定した事実関係の下において婚姻を継続し難い重大な事由があると認められた以上如何ともし難いものと云わなければならない。所論は所詮独自の見解に立つて、原判決の理由そごをいうにすぎず、採用するに由ない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 斎藤朔朗 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 長部謹吾)

上告代理人尾形再臨の上告理由

第一、原判決は判決に影響を及ぼすこと明なる法律解釈を誤つた違背がある(民事訴訟法第三九四条)。

(1) 即ち原判決は被上告人が昭和二五年五月頃上告人の出勤不在中に家を出て上告人を置き去りにし以来現在迄上告人自身に対し一銭の仕送りもせず全くかえりみない事実について民法第七七〇条第一項第二号所定の悪意の遺棄ではないと認定しているがこの解釈は誤つている。

夫婦協同体の本質として「夫婦は同居し互に協力し扶助しなければならない」(民法第七五二条)義務があるに拘らず夫婦関係の円満向上の主導権をもたねばならぬ夫が妻と姑間の感情調整に積極的な努力を何等することなく不作為的態度に終始することは協力義務に違反していることであり夫婦共同の住所に妻子を置き去りにして家出し別に居を構えることは同居義務にも違反しているのである。

被上告人は上告人と姑友子との間が相互に反目して険悪だつたと主張し家を出るとき夫婦間は破綻に瀕していたかの如くいつているがそれ程険悪で母が心配である場合に母を残して被上告人だけ単身家を出て別居するという被上告人の行為が甚だ奇異に感じられる。

嫁姑が不仲になるということは世間に往々ある現象でありこれを両方説得して家庭に風波がたたないように積極的に努力することも夫として人生の大切なつとめである。

特に子供がいる場合子供の将来のためにも家庭の中心である夫婦協同体が破綻しないよう協力する義務があると信ずる。

それを考えると被上告人が上告人を置き去りにして家を出た時は被上告人は既に離婚の意思を秘めて相当長期間の別居の既成事実を意識してつくりあげ夫婦関係の破綻を持続させようという目的以外に何等建設的な意図はなかつたもので物質的にも精神的にも上告人を悪意で遺棄しているものである。

原審は「妻たる控訴人以外の女性との交渉を求める等の非難すべき目的があつて別居したのでないからこれを悪意の遺棄と断定するのはむずかしく云々」といつているが同居義務、協力義務に違反することを認識しながら上告人を置き去りにして家を出ている被上告人の行為自体が非難すべき目的があつて別居していることになるのである。

原審では上告人が学校の教員としての収入があり生活に困難を生じていないことを安易に考えているのではないかと思われる。

若し上告人に収入の道がなかつた場合を仮定的に考えてみたらどうであろうか。

特に民法第七七〇条第一項五号の場合は一号乃至四号所定の離婚原因と同程度に婚姻を維持できない重大な事由を必要とすると解釈する。

一方的な我儘を認容する規定ではない。

ひるがえつてこの事案で上告人が原告となり被上告人を被告として「悪意の遺棄」を原因として離婚訴訟を提起した場合第一審、第二審は悪意の遺棄ではないという認定ができるであろうか。

前記の通り「悪意の遺棄」についての法律の解釈を誤つているといわなければならない。

(2) 原判決は信義誠実の原則に反しないというがこれも法律の解釈を誤つている。

即ち「婚姻外での同棲というだけを取り上げて被控訴人を非難することは当らないのみならず控訴人にとつても相互の性格からいつて到底融和を望みえない婚姻生活に無理にふみとまつてもそれはただ戸籍上夫婦であるというに過ぎず自らの幸福は到底得られるはずがない云々」と原判決はいつているがこの考えが両性の平等を保障している我国の憲法第二四条の精神に果して合致した考え方であろうか。

上告人が教育者としての配慮からひたすら被上告人が帰来することを希望し第一審においては殊更訴訟代理人に依頼することを避け公判の都度自ら出廷して被上告人が何時の日かは訴訟を取下げてくれることを期待したその態度及び現在でも帰来することを希望しているその事実とを被上告人の他の婦人との同棲関係に比較するとき同棲は一審判決後のことだからとして信義則に反しないという原審の考え方は事実現象を断片的にみた考え方でおよそ民法第一条第二号において法律解釈の大原則として規定された信義則の解釈のしかたではない。

ことの発端から終局迄綜合して観察して信義則に反するか反しないかを断定すべきで一審判決後の同棲だから信義則に反しないというのであれば暗に有婦の夫の他の女性との不倫関係を裁判所が認容したことになり社会秩序の維持を目的とする裁判の本質に反することになる。

特に人事訴訟手続法第一〇条により民事訴訟法第一三九条のいわゆる時機に後れた攻撃防禦の却下の規定の適用がないことから考えても離婚訴訟については全般的観察を裁判所に要求されているものであり従つて被上告人が上告人を置き去りにして家を出て以来のことから考えると一審判決後の同棲と云つても著しく信義則に反するものと云わなければならない。

又、「戸籍上の夫婦であるというにすぎず自らの幸福は到底得られるはずがない」というが幸、不幸の考え方は抽象的には統一的に断定できようが具体的に幸福か不幸かは、婚姻、離婚の場合の如きは当事者の意思にかかつているものであつてそれこそ人間十色で裁判所が抽象的に割り切れるものではない。

上告人は離婚を希望していない。

世間体をおもんぱかつて離婚を希望しないというのでなく教員としての経験から子供の将来のためにも離婚すべきでないと信じてひたすら夫である被上告人の帰来を待つているのであるからかかる場合に戸籍上の夫婦に過ぎないからとして信義則に反しないというのは妻としての立場を全く考慮に入れない考え方である。

このような事案が信義誠実の原則に反しないというのなら不心得な男性は性格不和を口実に離婚を欲しない妻を置き去りにして別居し夫婦関係破綻の事実をつくりあげて裁判所を通じて離婚を強いることができるようになり全く不合理なことになるのであつて公平を旨とすべき裁判所のとるべき考え方ではない。

第二、原判決は最高裁判所の判例に違背したものである。

最高裁判所昭和二九年(オ)第一一六号離婚請求事件につき同年一一月五日第二小法廷の判決は「……上告人は昭和二一年三月頃被上告人を嫌つてそのもとを立ち去り爾後引き継き別居して同居を肯ぜずその間……事実上の婚姻をして現にこれと同棲しているものであり一方被上告人は多少の欠陥はあつても取り立てていう程のものでなく同人はひたすら上告人の復帰を期待し貞操を守つているというのだから云々」と判示して「民法第七七〇条一項五号にかかげた理由が配偶者の一方のみの行為によつて惹起されたものと認めるが正当で離婚を認めることはできない」と認定している。

本件の場合も民法第七七〇条一項五号の事由は被上告人の我儘から発足したものであるから前掲の判例の趣旨からして原審では第一審の判決を取り消し被上告人(被控訴人)の離婚請求を棄却すべきであつたのである。

第三、原判決は民事訴訟法第三九五条第一項六号所定の判決の理由に齟齬があるときに該当する。

婚姻を継続し難い重大な事由があるというが上告人にとつてはそんな事由はないので被上告人が上告人のもとに復帰すればよいのであつて上告人自身は被上告人が他の女性と同棲している事実について被上告人を難詰しようという気持は全然もつていない。

今直ちに復帰できなければ何年でも待つているというまことに献身的な気持でいるのであるからこれを目して婚姻を継続し難い重大な事由とみるのは間違いである。

上告人が法律上の妻として存在することは被上告人の放恣な考え方からすればその放恣を認められない重大な事由でこそあれ、離婚原因として裁判所が強制的に離婚させるときの婚姻を継続し難い重大な事由の存在する場合とみるのは理由に齟齬があるものである。

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